夫と私

よくあるタイプの女オタクの私とサッカーが好きな夫の話

大切にするということ

最近結婚したばかりということもあり、夫を大切にしなければという意気込みが私の中で渦巻いている。彼はかなり自立できているので普段は私が特に何かする必要はない(分担している家事をこなすくらい)から、有事の際にということになるだろう。何もないのが一番いいが、万一を避けられないのも人生だ。

大切にする、というと抽象的なので、ではどんなことをすれば良いかと考えたとき、私としては「時間」か「お金」を用意することだろうと思った。ドライすぎると思われるかもしれないが、本心からそう思っている。

物質的な問題はお金があれば解決できる。病気になっても病院にかかれるし、仕事ができなくてもしばらく生きていられる。何よりお金があることで心に余裕ができて、大切にしようというモチベーションが保てる。

精神的な問題には時間が必要だ。話を聞いたり、黙って一緒に過ごしたり、落ち着いて過ごせるように掃除や洗濯をしたり、環境を整えてあげるのにも役立つ。

私が大学受験を控えていたとき、思い切って(実家は貧乏だった)塾に通いたいと言ったら、検討も何もなくその場で却下された。第二案として、では通信教育はどうかと提案したらそれは受け入れられた。高校生なりに策を弄した結果そんなに悪くないところに落ち着いたと思ったが、私を塾にやる価値はないと判断されたんだなという思いが残った。

お金がないのは仕方ない。そういうときは時間、言い換えれば誠意を出してほしかった。

勉強頑張ってるのは知っているよ、もっと頑張りたいと考えているのは素晴らしい、ただ即決はできないから検討してみたいと嘘でも目を見て言ってくれる時間を持ってくれれば、私の気持ちは多少救われたのではないか。

その後、大学生時代は奨学金の一部を親に渡していた(先日「使ったからもうない」との宣言を受けた)し、就職後は親の医療費を貸した(こちらは保険がおりたので返してもらえた)。私はお金を融通するための存在で、その逆ではないんだという思いが強まった。

つまり、大切ではないのだ。納得が少しずつ心の中に溜まっていく。悲しんでも仕方ないから、涙ではなくため息が出るのだ。