夫と私

よくあるタイプの女オタクの私とサッカーが好きな夫の話

理由

私は特に子供が欲しくないのでつくらないつもりで、普段はそれを普通に受け止めている(つもり)なのですが、風邪で一人寝ていると言い訳をいろいろ考えてしまう。早い話がネガティブ思考にはまりこんでいる。

子供を産むのも育てるのも大事業で、やってる人は素直に偉いと思います。ビルを建てたり掃除をする人に敬意を示すのと同じように、すごいことだと思います。

このエントリは別に誰かを否定したり責めたりするためのものではないのです。今日の私はこんなことを思ってたなという記録です。

 

うるさいのが苦手

大きい音、甲高い音が非常に苦手で、公共交通機関を利用する際は必ずイヤホンを使います。子供が泣いてる車両に乗り合わせたら、可能な場合は車両を変えます。自分の家に子供がいたら、そういう騒音から逃れられない。絶望感。

お金がかかる

子供の頃とても(?)貧乏で、自分でお金を稼げるようになったらあれをしよう、これを買おうと考え続けてきました。それが私の子供に取られると思うと悲しいを通り越して怒ってしまう気がする。特に自分が子供の頃欲しかったけど得られなかったものを、私と夫の経済力なら簡単に与えられるだろうけれど、すごくムカついてしまうと思う。子供の頃にしか必要じゃなかったもので今から取り返せないもの(塾に通うとか)もいっぱいあるから余計に。

時間がかかる

のんびりと何もしない時間やダラダラとゲームをする時間、YouTubeを見る時間も私にとっては大事です。無為な時間はリフレッシュに最適だと思う。子供がいるとタスクが増えてそういうことができなくなりそうで困る。

マイペースに動けない

私は精神面でのアップダウンが結構激しく、一人になりたい時間が人より多いので、全てを子供中心に行動しないといけないのは難しい。たまに夫にイラつくときも一人になれれば緩和できるけど、子供がまとわりついてきたりしたら増幅されてしまう。

コミュ障が感染ってほしくない

私はいわゆるコミュ障(もしかしたらアスペルガーのボーダーくらいなのかもしれないけど、明確な診断はされていない)で、友達が少なく一人遊びの多い人生を送ってきました。私はそれはそれで楽しいと思えるけれど、私の子供がそうは思えなかったら、どうやって慰めたり励ましたりしたらいいのかわからない。

自分の遺伝子なんか残してもしょうがない、残すプロセスに楽しみが見出せないならなおさら。

飽きても辞められない、いつ終わるのかわからない

大体のことは飽きたらやめられる。でも生きてるものは違う。ペットもだけど、子供はもっとそう。飽きたらどうするの?というのが飽きっぽい私にはものすごく高いハードルに感じる。

また大抵の場合、成人するくらいになればかなり手放せる状態に近づくとは思うけれど、病気や障害などでそうならない場合、きりのなさみたいなものに負けてしまいそう。自分が死ぬか子供を殺すかその両方かをしてしまうのではと思うと、やっぱ子供はやめとこうかなとなる。

 

私は自分の現状にはそんなに絶望しておらず、ただ子供がいたら状況が悪くなる想像しかできないので自分にはいらないかなぁと思うのです。かわいいところを見たいなら友達の子供を見たり触れ合ったりすればいいだけなので。

ただ世の中の子供はみんな幸せに豊かに、希望をもって大人になってほしいと思っているので、将来はそういうことに協力(募金とか)できたらいいなと思います。