夫と私

よくあるタイプの女オタクの私とサッカーが好きな夫の話

完全

(書きかけをそのままUP)

完全な家族、が存在しないのは知っているのだ。南極大陸がとても寒いということも知ってはいる。知っているだけではあまり役立たない情報もある。

友人の結婚式に行った。新郎が最後のあいさつで涙ぐんでいるのを見て、自分も涙が出そうになった。人が泣いているのを見ると大抵そうなる。後から、家族に対して感謝できる人生で羨ましい、と何度目かわからない僻み根性を抱いた。

親には世話になった自覚はある。いろいろ資材を投入してもらったし手間もかけた。ただ、死なないように保存するだけが子育てではないのではないかという気がするのだ。

「子が好きなことができるよう支援する」というのは、「子が何を言いだしても勝手にすればいいという回答しかしない」こととは、全く違う(と思う。自信がない)。私は結局「親に相談する」「親に頼る」というカードをほとんど切らないまま大人になり、そのカードはヨレヨレになってしまったので捨てた。最近では、そんなカード最初からなかったのではないかとすら思う。だとしたら私の要望は権利もないのに親に伝えられてしまったものであり、そのうちのいくつかはたしかに私に利益をもたらしたのだから、親はえらいな優しいな、と思うしかない。

私は元来他人である親の子育て(つまり私の養育と教育)について偉そうに断罪し、自分は何も生み出さずにいなくなることを理想とするようになった。多分、私が一番怠惰で無用の存在なのだ。